Permission

おたがいの存在を認め、心を許したことで アートワークも変化を遂げる

アーティスト
ジョーダン・ウルフソン

アーティスト
ジョーイ・フランク

Interview & Text Ariella Wolens
Photography Nick Sethi

 

コンテンポラリーアーティストのジョーダン・ウルフソンとジョーイ・フランクの間には、珍しいフレンドシップがある。お互いにアーティストとしての才能や個性を認め、恥ずかしがることなく相互愛を語る。それは、制作を終えたばかりのアートピースを「まずは、あいつに見せて意見を聞いてみよう」となる。そんな関係。

約14年間、こうした関係性を続けているウルフソンとフランクは、古くからアート業界にはびこる慣習に逆らったクリエイションを続け、新しい前例を生み出してきた。もともと自由な発想を持つウルフソンもフランクが一緒になり、話を始めるとさらに新しい言語がどんどん生まれていく。ここ数年間、こうして、自由でのびのびとしたやり取りをすることが彼らの日常だ。時には冗談を言い、またある時には真剣にアートピースを共作する。そんな彼らの姿はどこか羨ましさすら感じるものだった。


さて、どこからはじめましょうね? ふたりが出会ったのはどこだったか覚えていますか?

ジョーイ:  なんかのパーティだったよな?

ジョーダン:  ブラウン大学で開催されたパーティだったかな? 僕は、ロードアイランド・スクール・オブ・デザインに通っていたんだけど、当時付き合っていた彼女がブラウン大学の学生で。

ジョーイ:  そうそう。確かその時ジョーダンは《グッチ》の帽子を被っていた記憶があるなぁ。白のベースボールキャップに<グッチ>のロゴが入ってる帽子だった。ベースボールキャップっていうより、ペインターズキャップというか。

ジョーダン:  そうだったっけ……。でも、そこでジョーイは友達と床に座りながら、自分で作った映像を見せていたのは覚えてる。『Manda Bala』っていう作品をテレビモニターに繋いでね。もちろん僕も初見。そしたら、その作品がものすごくよくて。すぐにジョーイと友達になりたいと思ったほど……。友達とまではいかないにしても、ジョーイがどんなアーティストなのかを知りたいと思った。その時にジョーイと何を話したかの記憶はないんだけど、でもきっと何かを話していたはず。それでなぜか、シュウマイを一緒に食べようって約束をした。ついでに自分が作っていた映像作品も見てほしかったし。何年か後、一緒に住んでたこともあった。

ジョーイ:  そうだったな。大停電の時だったよな? 2003年? それに2012年のハリケーン・サンディが来た時も一緒にいたよね。

ジョーダン:  その時は何でだっけ? ジョーイ: サンディの時、ニューヨークにあるほとんどの家が停電していたんだけど、なぜかジョーダンのレッドフックにあるアパートだけは普通に電気が使えたんだ。俺はどうしても作業しなくちゃいけないプロジェクトがあって、しばらく彼女と一緒に住ませてもらった。と言っても2、3日だったけど。

ジョーダン:  あぁ〜、そんなことあったね。

ジョーイ: お前に言ったか覚えてないけど、彼女がお前の仕事への向き合い方に感動しててさ。俺に「ジョーイ、あんたジョーダンを見習った方がいいわよ! すごい集中力よ!」って。

そんなことがあったんですね。

ジョーイ:  確かにジョーダンは編集することにも貪欲で、ものすごく集中して制作するタイプのアーティストだからさ。でも、ジョーダンと長い間一緒にいるから分かるんだけど、そんなジョーダンのスタイルが少しずつ変わっていくんだよね。多分、俺と出会う前から作品作りに関しては、一切力を抜くことなく、かなり神経質に取り組んでいた。映像の細かい修正もストイックにやっていて。それに修正すればするほど、さらにいい作品になっていく。だけども、次第に直感に頼って作品を作るようになっていく。実は、結構昔からジョーダンの未完成の作品とか、修正前の作品とか、それに失敗作として世に出なかった作品を記録して、今も保管しているんだ。いつか何らかの形で見せられると面白いと思ってるんだけど。

ジョーダン:  ジョーイは、僕がクリエイティブに関して奥手になっている時に、自分では思いつかないようなアイデアを投げてくれる。それに基本的に僕は自己中心的に生きてきたから、一つのことに没頭すると、周りが全く見えなくなる。自分以外のアーティストに制作物を作らせるようなこと絶対しないんだけども、ジョーイが作りたいって言ってくれた時は、ある意味嬉しかったというか。今までにこいつとは一緒にいろいろやってきたし、こいつがいたことで生まれたアイデアとか作品がたくさんあったから。ジョーイがいると、自分がもっと自由になっている気がする。

ジョーイ:  ジョーダンは昔から自分のキャリアのことを気にしていたからね。反対に俺はコンテンポラリーアーティストってどういうものなのかすらもよく分かっていなかった。ベルリンにいた時も、俺がサルビアっていう葉っぱを吸ってみたくてジョーダンを誘ったんだけど、ジョーダンは自分で吸うよりも、俺が吸ってるところを見たいって言って、結局吸わなかった。きっと自分が置かれている状況に緊張していたんだと思う。それぐらいこいつはしっかりしている。

ジョーダン:  20代の時はアーティストらしかったよね。当時を思い出すと、不必要なストレスをたくさん抱え込んでいたと思うし、いろいろ危険な橋を渡りながら、お役所的な制度が残るアートの世界で、苦しい戦いをしていたね。

お互いの作品をどう思っているのですか?

ジョーイ:  俺たちの関係性を一言で表すと、“PERMISSION”(=許可)だと思うよ。ジョーダンにとって“直感”という言葉の次に大事にしている言葉が“許可”という言葉だからね。ジョーダンの作品っていうのは、自分をどこまで許して、作品を作るのかというところが大きいと思うんだ。「こんな作品作ろうと思うけど、どうなんだろう?」って常に自問自答している。

ジョーダン:  なんかそれはそれでバカっぽいけど。

ジョーイ:  うん、正直バカだと思うよ。でもバカだなと思うと同時に、自問自答することがものすごく重要だとも思う。俺はワシントンDCという場所で、無宗教の家庭で、しかも両親ともに心理学者という環境で育った。彼らは二人ともユダヤ人なんだけど、でも神様に関する話は一切なかった。

ジョーダン:  俺も別に宗教家の家で育ったわけじゃないけど。

ジョーイ:  お前の両親はもっとビジネス思考だろ。

ジョーダン:  そうだね。自己中心的だったし、押し付けがましかった。いつも意味不明なことばかりを押しつけられていた気がするな。それに比べるとジョーイは自由だし、ゆるさがあったから新鮮だった。

ジョーイ:  で、俺の作品については?

ジョーダン:  う〜ん、どうだろうね……。ジョーイの作品のことについて聞かれたり、話したりしたことはないからね。ジョーイの作品は、性心理的だし、それにスピリチャルな部分が大きく関わっているからなぁ。なにがスピリチャルかというと、マテリアルやクラフトを否定するところから始まる作品が多いから。ジョーイが何かを作る時って、例えば人が自分の指を全て切ってるような感じなんだよね。悪い意味じゃなくて。多分アーティストって呼ばれる人たちのほとんどは、自分が何かを発信したいからこそ表現している人がほとんどだと思う。だから作品を作るためには、少なからずマテリアルへの執着は当然あるべきなんだけど、ジョーイにはそれがまったくない。昔、ジョーイがプレゼントしてくれた写真があって、今でも大事にとってるんだけど、それがものすごくいい写真でさ。巨大なカマキリがiPhoneの上に乗ってる写真やネズミ獲りにひっかかったネズミの死骸が元彼女との思い出の写真の上に置かれている写真とか。それに牡蠣の中に死んだネズミが入っている写真もあったな。その写真を見ているとジョーイは天才だなって思うんだよね。自分の直感を100%信じていないとできない作品だからさ。別にジョーイは、その作品が何かの問題解決になったり、社会へ問題提起するものとは全然思っていなくて、本当に直感を頼りに作っている。それはある意味、漫画ぐらい自由だし、漫画よりも夢がある。それがジョーイの作品の良さかな。美しくもあり複雑というかね。

※PARTNERS Issue #1より抜粋した記事になります